源氏姫の夜泣き石

むかし、まだ、この国でたくさんの戦があったころ、交野という里に源氏姫と梅千代というどちらも母親と生きわかれた姫君と少年が暮らしていた。

ある年の暮れのこと、おろち山という山にひそんでいた山賊が、源氏姫と梅千代の住んでいた村をおそった。二人は、手足をしばられ、山賊のかしらであった美しい女の前へつれてこられたが、梅千代は、おそわれた時にうけた傷がもとで、すでに息絶えていた。

「そなたたちの名は、なんという?」

女の問いに、にくしみをこめて源氏姫が自分の名を言いはなつと、女は、急に青ざめて手下の山賊たちを追いはらい、二人のなわをほどいてやった。

「梅千代のかたき、覚悟!」

ここぞとばかりに、源氏姫はうばいとった短刀で女の胸をつきさしたが、女は、抵抗するでもなく、はらはらと涙をながした。

「ゆるしておくれ、ゆるしておくれ・・・」

と、女は息も絶え絶えにさけんだ。どういうことかと源氏姫が問うと、おどろいたことに、女は、「わたしがおまえたちの母親なのだ」と言った。

その語るところによれば、女は最初の夫との間に源氏姫をもうけたが、夫は、戦で討ち死にし、二度目に嫁いだ先で梅千代を生んだが、二番目の夫も、やはり戦で亡くなったとのことだった。女は、家臣たちとおろち山へ立てこもり山賊となったが、逃げるとちゅうで二人の子どもとはぐれてしまったのだという。

女は、涙をこぼしながら息絶え、源氏姫は、悲しみのあまり二人のなきがらにすがりついてはげしく泣いた。そして、みずから短刀でのどをかき切った。 

よりそうようにして死んでいった三人の母子は、そのままひとつの石となり、それ以来、夜、人が近づくとかすかな泣き声が聞こえるので、いつしか「夜泣き石」と呼ばれるようになった。けれども、母子の亡くなった命日だけは、同じ声が、母にあまえる子どもたちの笑い声に聞こえるのだという。

源氏姫たちの夜泣き石は、今も、大阪の山中にひっそりとあって、人々の営みを見守っている。