わきあがる白い雲に溶けこむように、ポーンッとサッカーボールが上っていきます。
「走れ、走れ!」
「マサル、たのむぞ!」
チームメイトの声援を背に受けて、マサルくんは、落ちてきたボールに食らいつくと、すばやくドリブルをして相手ゴールを目指しました。
シュート!
マサルくんのけったボールは、キーパーの頭を超えて、みごとにゴール。
「やったあ!」
マサルくんは、両手を上げて喜びました。ピーッと審判の笛が鳴ります。ジュニアチームでの練習試合は、マサルくんのゴールのおかげで勝つことができました。
「さすが、マサルだね。決めるときは、いつでも決めるよね!」
「マサルがいれば、こわいものなしだよ。中学に入ったら、おれたちの手にはとどかなくなっちゃうかもな」
試合の帰り道、自転車に乗りながらみんなからほめられて、マサルくんはごきげんです。
「そんなことないよ。みんなのアシストのおかげさ」
そう言いながら、マサルくんは、中学に入ったら、本格的にサッカーの道を目指そうと思っていました。
マサルくんの家は、お父さんもお母さんもサッカーが大好きです。地元にJリーグの有力チームがあるため、この地域では、こういう家族が少なくありません。
マサルくんは、お父さんからサッカーを教わりました。お父さんは、地元高校チームのフォワードだった人ですが、プロにはなれず、今は、まったくほかの仕事をしながら、サポーターとして、地元チームの広報活動をボランティアでやっていました。
広報活動というとむずかしく聞こえますが、かんたんに言えば、試合のチケットを買ってもらうために、地域の公民館などをまわって、町内会や老人会にあいさつしたりするのです。ときには、選手をいっしょにつれていくこともあって、そんなときは、マサルくんも喜んでお父さんについていきます。でも、そんなことは、何度もあるわけではなく、お父さんは、ほとんどボランティアの仲間どうしで、そうした活動をしていました。
マサルくんは、このボランティア活動が、あまり好きではありませんでした。だって、どこへ行ってもペコペコ頭を下げてばかりです。町内会長さんに会って、ペコペコ。老人会の会長さんに会って、ペコペコ。そして、公民館に集まったそのほかの人たちひとりひとりに声をかけて、そのたびにペコペコ。これでは、なんだかお父さんが悪いことをして、あやまっているみたいです。
マサルくんの知っているJリーグの選手たちは、いつも、堂々としていました。みんな、子どものころからサッカーを続けてきて、きびしい競争を勝ちぬいてきた人たちです。プロになれなかったお父さんとちがって、だれもが輝いて見えます。
ある日のことです。
「マサル、今度の日曜日、練習がおわったら、お父さんとつきあってくれないか。後援会のチラシを配りにいくんだ」
「え~っ、やだよ、そんなの。だって、今度の日曜日は、練習のあと、友だちと映画を見にいく約束なんだから」
お父さんのお願いを、マサルくんは口をとがらせてことわりました。このところ、二週続けて、マサルくんはボランティア活動に引っぱり出されています。お父さんは、子どものマサルくんをつれていけば、行く先々でいやな顔をされないことを知っているのです。
マサルくんは、これ以上、お父さんから何か言われないように、さっさと自分の部屋にこもってしまいました。ペコペコ活動なんて、まっぴらです。
(ぼくは、ぜったいにプロのJリーグ選手になるんだ。お父さんみたいにはならないぞ)
マサルくんは、ベッドに腰かけて、壁にはられたポスターやタペストリーをながめました。大好きな地元選手のものもあれば、海外で活躍しているスーパープレイヤーのものもあります。
(お父さんには、ぼくの気もちなんてわからないんだ)
マサルくんは、ベッドにごろんと横になりました。むかし、マサルくんにサッカーを教えてくれていたころのお父さんは、もっと、かっこよかったように思います。ドリブルもヘディングもうまくて、お父さんみたいになれたらと、マサルくんはずっと思っていました。でも、仕事で重い荷物を持って足をくじいてからのお父さんは、マサルくんの練習相手ができなくなってしまいました。
同じころ、サポーターをしていた地元Jチームも、お客さんが入らなくなって解散させられそうになりました。お客さんが入らないと、チームにお金を出してくれるスポンサーの企業がついてきてくれないのです。
マサルくんは、もっと有名な選手をチームに入れれば、お客さんが来てくれるのにと、いつも思っていました。お父さんたちが、チームを経営している会社の人といっしょに、いろいろな企業をまわって必死にスポンサーになってくれるようお願いしましたが、どうにもなりません。けっきょく、まったく別のところからお金を出してくれる大きな企業があらわれて、チームは解散せずにすみました。
マサルくんは、いつか、自分が有名な選手になって、お客さんをいっぱいスタンドにつれてきてやるんだと思っていました。そうすれば、もう、お父さんもペコペコしなくていいはずなのです。
強い選手になることが、チームを元気にする。マサルくんは、心のそこから、そう信じていたのです。
次の日曜日は、朝から雨がふっていました。ジュニアチームの練習は、グラウンドがグチャグチャで使えないため、中止になりました。
マサルくんは、同じジュニアチームのヒロシくんと連絡をとって、朝から映画を見に出かけました。もともとの約束の時間は午後からだったはずですが、家にいると、また、お父さんからチラシ配りの誘いがありそうでいやだったのです。
雨は、とても冷たくて、これなら家にいたほうがよかったかと思いましたが、待ちあわせをしていたヒロシくんに会うと、そんな気もちはどこかへふっ飛んでしまいました。
映画館は、マサルくんの住む町の中心地にあります。その近くには大きな公園があって、日曜日のたびにいろいろなもよおし物が行われます。
映画を見おわったマサルくんたちが映画館からかさをさして出てくると、公園の前に何人かの人が立って、道行く人たちに声をかけているのが見えました。聞きおぼえのある声だと思ったら、なんと、その中のひとりはマサルくんのお父さんです。
(お父さん、こんなところでチラシを配っているんだ・・・)
マサルくんは、少しうしろめたい気持ちになりました。こんなに冷たい雨のなか、マサルくんのお父さんたちは、レインコートを着てチラシを配っています。でも、チラシを受けとってくれる人は少なくて、なかには、すぐにまるめてすてていく人までいます。
(あ~あ、なんかかっこわるいなあ・・・)
マサルくんがそう思ったとき、となりにいたヒロシくんが言いました。
「あれ、マサルのお父さんじゃないか?手伝わなくていいのか?」
「え~っ、やだよ、あんなことするの」
「だって、おれたちが応援するチームのためじゃないか。おれ、ちょっと、手伝ってくる」
ヒロシくんがそう言ってかけだしたのを見て、マサルくんはびっくりです。
『おれたちが応援するチーム』
ヒロシくんの言った言葉が、マサルくんの頭の中を何度も行ったり来たりしました。マサルくんは、しかたなくお父さんのところへ行きました。
「なんだ、マサル?映画を見にいったんじゃないのか?」
「もう見てきました。ぼくたちも手伝います」
マサルくんのかわりにヒロシくんが答えたので、お父さんは、大喜びです。
「そうか、そうか。雨なのにすまないな。本当は、選手も呼ぶ予定だったんだけど、雨だから、お父さんたちだけでやることにしたんだ。カゼをひかれたら大変だからね」
お父さんは、いつだって選手たちのコンディションを気にしています。自分がサッカーをやるわけではないのに、ほかの人のことばかり考えて、いつもいっしょうけんめいです。
「どうぞ、読んでください」
お父さんもヒロシくんも、後援会のチラシを配りはじめました。マサルくんも、やらないわけにはいかないので、ぼそぼそと「読んでください」と言って、ちょうどやってきた手押し車を押しているおばあさんにチラシをさしだしました。すると、おばあさんは、にっこりと笑いながらチラシを受けとり、こう言いました。
「ああ、ご苦労さま。いつも、テレビで応援してますよ」
マサルくんは、また、びっくりしました。正直なところ、手押し車のおばあさんがサッカーを見ているなんて、思ってもみなかったのです。
マサルくんは、なんだか、元気が出てきました。マサルくんとヒロシくんが、がんばったおかげでしょうか?お父さんたちだけで配っていたときよりも、チラシがなくなっていくスピードがずいぶん速くなりました。
マサルくんがますます元気になって声を出していると、
「すいません、遅くなりました。おれたちにもやらせてください」
そう言って、なんと二人の選手がやってきました。もともと、今日のチラシ配りに参加する予定だった選手たちです。そのうしろには、チームを経営している会社のオーナーの姿まであります。
「みなさん、いつもご苦労さまです」
オーナーは、かさの下で深々とマサルくんのお父さんたちに頭を下げました。このオーナーは、ホーム、アウェイにかかわらず、試合になると観客席をまわって、来てくれたサポーターに何度もお礼を言うことで有名な人でした。
「ふつうのオーナーは、あんなことはしないよ。オーナーがいばらないから、みんな、チームの力になろうって思うんだよ」
お父さんがいつか言っていた言葉が、マサルくんの頭によみがえりました。
「やあ、君たちも手伝ってくれているのかい?本当にありがとう」
オーナーは、マサルくんとヒロシくんの肩をひとりずつポンポンとたたいて言いました。そして、自らチラシを配りはじめました。
マサルくんは、なんだか、とってもあたたかな気もちになりました。
(サッカーって、たくさんの人たちの支えがあってできるスポーツなんだな・・・)
こんなふうに思ったのは、はじめてです。オーナーは、チラシを配るマサルくんとヒロシくんに言いました。
「君たちのお父さんみたいな人がいてくれるから、うちのチームはやっていけるんだよ。選手も、みんなそう思っている。後援会のチラシを配ってくれる人。ピッチを整えてくれる人。試合前の入場券の受付や試合後のごみひろいをしてくれる人。そうした多くの人たちの支えが選手たちを燃え立たせ、チームを強くする。サッカーは、そんなスポーツだから、世界中の人たちから愛されるんだ」
オーナーの着ているジャンパーが、雨にぬれています。マサルくんとヒロシくんのくつの中も、湿っていました。でも、マサルくんは、それをいやだとは思いませんでした。
お父さんを見ると、どんなにチラシを受けとってもらえなくても、うれしそうに目を輝かせています。
『おれたちが応援するチーム』
お父さんの心にも、きっと、そんな強い強い思いがあるにちがいありません。
数日後。
マサルくんは、お父さんといっしょにホームスタジアムの観客席にいました。これから、Jリーグの新たな開幕戦です。グラウンドには、いつものようにオーナーがいて、観客席に向かっておじぎをしています。マサルくんが立ち上がって大きく手をふると、オーナーも気がついて手をふり返してくれました。
選手たちが出てくると、スタジアムは、ゆれるような歓声につつまれました。その中には、もちろん、いっしょにチラシを配ってくれた二人の選手もいました。
今、この瞬間にも、スタジアムの外で入場券の受付をしてくれているサポーターがいることを、マサルくんは、忘れませんでした。
マサルくんは、立ち上がりました。みんなも、立ち上がって拍手を送っています。審判の笛がなり、ひらめくオレンジの旗のもとで戦いがはじまりました。
まっ青な空に、世界中の人たちが追いかけるサッカーボールが舞い上がりました。こぶしをにぎって応援する人たち。マサルくんも、こぶしを突き上げました。
みんなの夢をかけた、おれたちのチーム。
さあ、行くぞ!