4.号砲

三日間のキャンプ生活のうち、初日と二日目の昼過ぎまでは、まず、先輩である六年生がテントを張り自炊をする。

キャンプ場内の施設に入った五年生は、二日目の昼過ぎから、六年生と立場を交代することになっている。

キャンプ場に着いた健二たちは、全体集会が終わると、さっそく、テント張りをはじめた。

今夜は、キャンプファイアーもあるから、早く寝床やかまどを作って、昼と夜の二回の飯ごうすいさんをしなければならない。

昼はカレー、夜は豚汁というありきたりのメニューだが、自分たちの力だけで作ったとなれば、多少できは悪くても、味は格別というものだ。

各班が悪戦苦闘する中でも、さすがに、健二の班には、頼りになる若菜がいることもあって、テント張りに続いての飯ごうすいさんも、順調にすべり出した。

若菜は、日ごろから家で料理の手伝いをしているらしく、包丁を持つ手さばきは、なかなかのものだ。恒子も家庭科は得意だったから、健二たち男子は、火に薪をくべていれば、あまりやることがない。

だが、薪から出る白い煙は、ひどく目にしみて、健二もほかの男子も、たちまち目がまっ赤になった。

それに、とにかく暑い。山間の空気は、海沿いの大河内町よりはずっとすずしかったが、それでも、盛んに燃え出した火のそばに、長時間はいられない。

ゲホゲホと煙にせきこみながら目をこすり、そのついでにまわりを見まわすと、ほかの班も、飯ごうすいさんに夢中になっている。

そんな中で、なかなか火をおこせずに、苦労している美雪の姿が、健二の目にひときわ印象的に映った。ふだんは、何かにつけて超然としている美雪も、どうやら、サバイバルな生活には不向きらしい。

結局、となりの班にいた一馬に応援を頼んで、ようやく、かまどから白い煙が立ち上りはじめた。

「あっ、火がついた!」

そう言って、手をたたいて喜ぶ美雪の笑顔が見える。

(なんだよ?一馬には、やけになれなれしいじゃんか)

健二が、なんとなくおもしろくない顔をしていると、若菜から、いきなり脳天チョップが飛んだ。

「ほら、健二!ボーッとしてないで、もっと火を強くして!」

こちらは、いつものとおり怒られてばかりである。

「はいはい・・・」

健二は、煙にむせ返りながら、再び火と格闘だ。

しばらくしてできあがったカレーは、自分たちの力だけで作ったという、ひいき目を抜きにしても、かなりの仕上がりだった。

ここぞとばかりに「うまい、うまい」と言って、カレーをほおばる健二の様子に、若菜は、大満足の表情だ。

「そんなに、おいしい?」

「うん、もんくなしにうまい」

「それなら、今度、わたしだけの手作りカレー、食べさせてあげるね」

若菜が、急にやさしい口調でそんなことを言ったので、健二は、口の中に入っていたにんじんを、まるごと飲みこんでしまった。あわてて胸をたたいていると、今度は、水筒の水をコップに入れてわたしてくれる。

若菜は、ひたすら笑っていたが、健二は、なんだかこわい気がした。やさしい若菜は、かえってこわいのだ。

多少の時間差はあったが、どうやら、どの班も、昼ごはんにありつけたようだった。

一馬や満久も、よほどおなかがすいていたのか、皿を口の高さまで持ってきて、一心不乱にカレーをかきこんでいる。

美雪はというと、なんとかできあがったカレーを皿に盛りながら、班のみんなにわたしている。

その横顔が本当に楽しそうで、朝のあわてた様子とあわせて、今日の美雪は、今まで見たこともない自然な表情をすると、健二は思った。

そう、美雪も、ちゃんと笑うのだ。

いつもだって、美雪は、教室で笑顔を見せていたが、健二は、何かちがうと思っていた。美雪は、口で笑っていても、目が笑っていないのだ。

それが、今は、若菜と同じ輝く太陽のような笑みを、顔いっぱいに浮かべている。

空には、ますます雲が低く垂れこめてきていたが、目に映るものすべてがなんとなく明るく見えるのは、そんな、美雪の笑顔のせいだろうか?

天気は、不思議なくらい持ちこたえていた。てるてるぼうずまで作ったという若菜の祈りが効いているのか、午後になると、雲間から薄日まで差すようになった。

二時間ほどの自由時間があり、川で遊ぶ者、近くの林を探検する者、みんな思い思いの時を過ごした。あとは、キャンプファイアーの準備と、早くも夕食のしたくが待っている。

しかし、くもり空とはいえ、夏の太陽はなかなか沈まないから、時間に追われている気はあまりしない。

みんな、ここでの生活に早くもなじんできたようで、最初にあった不安は影をひそめ、いつもの快活さが戻ってきた。

夕食のしたくは、自由時間のあと、しばらくしてからはじまった。

ここでも、若菜を中心にした健二たちの班は、すぐに火をおこして手際のよい豚汁作りをやってのけた。

それに引きかえ、美雪の班は、昼と同じく、かまどに火をつけられなくて、またもや、一馬の助っ人を必要としていた。

ああでもない、こうでもないと騒ぎながら、どの班も、なんとか、夕食のしたくが整っていく。

夕食後にキャンプファイアーをかこんで合唱した時には、だれもが、親に頼らない一日を乗り切った達成感にひたっていた。

「これで、星空が見えたらよかったのにね」

若菜と恒子が、そう言いながら、うなずきあっている。さすがに、どんなに待っても、星はひとつも顔をのぞかせなかったが、天に向かって立ち上る炎の明かりが、それに負けない鮮やかな美しさを子供たちのひとみに焼きつけてくれた。

最後にみんなで花火をやり、それぞれのキャンプ第一日が終わっていった。とうとう雨は降らず、何も問題のない一日だった。

健二は、キャンプも、なかなか悪くないと思った。もともと、野外で活動する方が性にあっている健二にとって、一日中、体を動かしているキャンプは、いい気晴らしだった。

けれども、ふだんとちがうことをすると、必ずトラブルに巻きこまれるのが健二なのである。そして、案の定、それは二日目になってやってきた。

 

×         ×         ×

 

翌朝、たくさんのテントが乱立するキャンプ場に、深い霧が降りてきた。カナカナというひぐらしの鳴声のほかには、物音ひとつ聞こえない、そんな静かな早朝である。

だが、異変は、その静けさをあざ笑うかのように、なんの前ぶれもなくおこった。突然、近くの鉄塔に雷が落ちたのだ。

すさまじいごう音と地響きに飛びおきた健二だったが、テントの外をのぞくと、たった今の落雷がうそのように、空気がしんとしている。

「なんなんだ?今の雷・・・」

健二は、首をかしげた。

ほかのテントから飛び出してきたクラスメイトたちが、何ごとかとあたりをキョロキョロ見まわしている。

岡村先生やとなりクラスの先生たちも、あわてて集まってきた。

「おはよう、健二。雷が落ちたの?」

ふり返ると、寝袋からはい出した若菜が、心配そうな顔でこちらを見ている。

「うん、なんだかわからないが、一発だけ落ちたらしい」

それは、まるで何かの号砲のようだった。何か、とんでもないことがはじまる合図のような。

昔、おばけ工場が稼動していたころ、工場のスピーカーから流れ出る休憩時間の大きなサイレンに、幼かった健二たちは、よく驚かされたものだが、今の落雷は、どこか、それに似ていた。

健二は、顔を洗い、歯みがきをすませ、全体朝礼に参加した。それから、朝食の準備に取りかかった。

キャンプというのは、そのほとんどが、食べるためにあるようなものだ。

日ごろ、あたりまえのように家で朝ごはんを食べ、昼には給食、夜には、また母親の作ってくれた晩ごはんを食べている健二たちにとって、食べるということがどんなに大変であるかを思い知らされるのが、キャンプかもしれなかった。

相変わらず、美雪の班は、火をおこすのに苦労している。今回ばかりは、一馬の協力なしにやろうとしているらしく、美雪の班のかまどからは、不完全燃焼の白い煙がもうもうと立ち上っている。

問題は、この時おこった。

「おいっ、おまえら、いいかげんにしろよ!」

大きな怒鳴り声に健二が顔を上げると、となりクラスの男子数名が、けわしい目つきで美雪をにらみつけている。

「おまえのことだよ。昨日から、おれたちの薪ばかり横取りしやがって」

美雪は、驚いた顔で立ち上がった。何のことを言われているのか、わからないといった様子だった。

飯ごうすいさんで使う薪は、キャンプ場のはずれの空き地に、ある程度用意されている。施設の職員が事前に集めてくれたものだが、これには限りがあった。

だから、ちゃんとクラスごとに仕分けがしてあって、足りない分は、自分たちで集めてこなければならない。

「どういうことよ?わたしが、いつ、あなたたちの薪を横取りしたって言うのよ?」

「しらばっくれるな!おまえの班の男子全員、おれたちのクラスの薪を持っていったじゃねーか!みんな、見てたんだぞ!」

そう言われて、美雪は、班の男子の顔をふり返った。だれも、決まり悪そうに下を向いてしまっている。ふつうなら、前面に立って話しあいにのぞむはずの班長が、ぼそりと言った。

「もしかしたら、薪の場所をまちがえていたのかもしれない。だって、うちのクラスのは、いつもほとんどなかったから・・・」

「・・・・・」

美雪は、絶句した。これは、わかっていてやったにちがいないと思った。キャンプに不慣れな小学生が、自力で薪を集めるのは、大変な作業だ。豊富に積んであったとなりクラスの薪に、つい手が伸びてしまったとしても不思議ではない。

「ごめんなさい。あなたたちの薪だって知らなかったの」

美雪は、本当に知らなかった。薪を運んでくるのは男子の仕事で、女子は、たずさわっていなかったのだ。

ところが、となりクラスの男子たちは、美雪だけを目の敵にしている。それには、わけがあった。

「おまえが、指示したんじゃねえのか?こいつ、となりクラスにやってきた転校生だぜ」

「ああ、おやじがセンチュリーWADAに勤めてるってやつか」

となりクラスの男子たちは、わざと周囲に聞こえるような、大きな声で言いはじめた。美雪の顔が、わずかにこわばった。

健二は、知っている。因縁をつけてきたとなりクラスの男子のひとりは、駅前通り商店街に住んでいる渡辺貞行というやつだ。これは、薪を口実にしたいじめだと思った。

「おまえ、人に迷惑ばかりかけてんじゃねえよ。うちの親は、センチュリーWADAに入るか入らないかで、毎日、けんかばかりするようになったんだぞ」

貞行が、すごむように言った。

作蔵が、話していたとおりである。おそらく貞行の家は、センチュリーWADAからテナントに入らないかという誘いを受けたのだろう。それが原因で、家庭内にいざこざがおきている。

健二は、ハッと胸をつかれた。

センチュリーWADAのせいで、実際に被害をこうむった人間が目の前にいる。今まで、そういったことは、遠い大人たちだけの世界の話のように思っていた。

しかし、考えてみれば、自分も一馬も、それに若菜も、みんな、センチュリーWADAの出店問題で家族をふりまわされている被害者なのだった。

にもかかわらず、自分は、ただえらそうな態度をされるということだけで、美雪をうとましく思ってきた。それ以上に、にくいと思ったことはない。

態度のでかい、いやなやつ。健二の美雪に対する思いは、ただそれだけだった。

だが、貞行はちがう。彼には、その場の感情だけではない、センチュリーWADAへの根深い憎悪があるのだ。

「まったく、さっさと大河内町から出て行ってもらいたいよな。なんで、こんなやつに、でかい面されなきゃならねえんだよ?」

貞行を中心に、美雪への集中攻撃がはじまった。

「ほかの地域では、センチュリーWADAの出店のせいで、自殺に追いこまれた家族もいるんだってさ」

「自殺?」

「へえ、それじゃあ、人殺しみたいなものじゃん」

「ひでえ、やつらだよ。逮捕だ、逮捕!」

「おれも、こいつ見てたら自殺したくなってきたよ。だれか、首しめてくれ」

貞行がおどけたように言うと、ほかの男子が、キャハハッとはやし立てるように笑った。

さすがに美雪も、これには口を開いた。

「そんなのうそよ!証拠もないのに、いいかげんなこと言わないでよ」

「うそなもんか!この前、連盟の会合でおやじが聞いてきたんだ。家に灯油まいて、火をつけたんだってさ。子供も道づれだぞ」

「うそよ。そんなの、うそだわ・・・」

美雪の声が、かすかにふるえている。思いがけない中傷に、なんとかして毅然とふるまおうとしているが、人殺し呼ばわりされては、冷静でいるのはむずかしいだろう。

「何よ、あいつら」

まな板の上でみそ汁に入れるネギをきざんでいた若菜が、むっとした表情で立ち上がった。手には、包丁が握られたままである。

それを見ていた増田弘樹が、あわてて若菜をたしなめた。

「待てよ、待ってくれ。まずは、包丁を置こうよ。それに、君が行ったら、大騒動になっちゃうだろ?ぼくが、話をしてくるから・・・」

学級委員長としての責任感からか、弘樹は、意を決したように、もめごとの現場に入っていった。

けれども、ガリ勉だけが取り得の、ひ弱な弘樹が間に入ったところで、相手は、ますますつけ上がるばかりである。

「おまえも、けやき通りに住んでるんだろ?どうして、こいつをかばうんだよ」

「ガリ勉野郎は、ひっこんでろ!ぶんなぐられてえのか!」

貞行たちの剣幕に、弘樹は、たちまちまっ青になって縮み上がってしまった。

「ぼく、先生、呼んでくる」

島村満久が、オロオロと岡村先生を探しにいこうとする。川森恒子は、いつものとおり、若菜のかげにかくれて息をひそめている。

健二は、だまってことの成り行きを見ていた。

憎らしい美雪がどうなろうと、おれの知ったことではない。

そう思っていたはずだった。

けれども、健二は、渡辺貞行をはじめとする、となりクラスの男子たちに、どうしようもない憤りを感じていた。美雪のために怒る必要など、どこにもないはずだと自身に言い聞かせてみても、やはり、怒っているものは怒っているのである。

「くそっ、おもしろくねえ」

健二は、舌打ちしてつぶやいた。自分の感情をコントロールできないから、おもしろくない。

歩き出しながら、手にはめていた軍手を地面にたたきつけた健二の背中を、若菜が呼び止めた。

「健二・・・」

健二は、ふり返らなかった。

こういう時の健二は、だれの指図も受けないことを、若菜は知っている。だから、呼び止めはしたが、それによって、健二の行動を止められるとは思っていなかった。

健二は、ずんずんと歩いていった。

貞行たちは、なおも美雪への悪口をくり返していたが、健二が大またでやってきたのを見ると、しだいに勢いを失っていった。

「どうした、もめごとか?」

健二から問われると、さすがの貞行も言いよどんだ。

「おまえには、関係ねえよ」

「弘樹にまで脅しをかけといて、関係ないはねえだろう」

健二のケンカの強さは、有名だったから、相手がひるむのも無理はなかった。

弘樹の顔には、明らかに「助かった」という様子が表れていたが、口では、まったく逆のことを言う。

「健二、ケンカはよくないよ。なぐったら、こっちが悪くなるよ」

「いい悪いじゃねえ。おれの気が、おさまるかどうかだ」

「だめだよ。ねえ、上条さんからも、なんとか言ってやってよ」

弘樹からふられても、美雪は、口をかたく閉ざしてうつむいているだけだった。

「そいつが、何を言おうが知ったことか。弘樹、おまえは下がってろ」

健二が弘樹の肩を突き放すように押すと、緊張感は、一気に高まった。

貞行たちも、こうなったらやるしかないと、覚悟を決めた様子である。相手が健二ひとりなら、勝てると思ったのだろう。先手必勝とばかり、貞行が健二の顔になぐりかかった。

「この野郎!」

貞行の雄たけびとともに、健二は、うしろへ吹っ飛ばされた。

あたった!

貞行のパンチは、見事に健二の顔面をとらえた。貞行自身、あまりにも、すんなりとストレートが決まってしまったために、自分でもびっくりしているくらいだ。

健二は、頭をふりながら上半身をおこした。口びるが切れて、血が出ている。

「健二ィッ!」

遠くから、悲鳴をあげた若菜が走ってきた。一馬も走ってきた。二人とも、ただでおくものかという剣幕である。

ところが、健二は、だれかに助けおこされる前に、自分の足で立ち上がった。そして、言った。

「痛ってえなあ!いいなっ!これで、美雪がやったことは、帳消しだぞ!」

さすがの健二も、あれだけまともになぐられて無事でいるはずがない。にもかかわらず、どこか余裕のある健二の様子に、貞行たちは、かえってギョッとなった。

「さあ、かかってこいよ!そのかわり、一発で決めろよ!」

健二がさけぶと、今度は、べつの男子が腹にけりを入れてきた。

健二は、またもやうしろに吹っ飛んだが、今度は、けられながらも、両手で相手の足をうまく払っていた。

再びおき上がろうとする健二に、となりクラスの男子が殺到する。

「てめえら!」

怒り狂った一馬が、まず、貞行につかみかかった。

すると、健二も、もうだまってはいなかった。けりを入れてきた男子の胸ぐらをつかみ、足を払うと、ころがった相手に馬乗りになった。

「だから、一発で決めろと言ったんだ!このバカ!」

健二のこぶしが、相手の顔をぶちのめした。そのとたん、ほかの男子が、健二を背中からはがいじめにする。

健二は、うしろに引っぱられたが、肩をつかまれた指の一本を、へし折るように曲げると、「ぎゃっ!」というネコのような悲鳴が耳もとで聞こえた。

たまらず、健二から飛びのいたネコ男は、健二よりも、ずっと長身だったが、指を押さえて情けない顔をしている。

健二は、容赦なく相手に飛びかかり、今度は、思いきり首をへし曲げた。

「痛てえっ!やめろっ、やめろっ!」

もう、ここから先は大乱戦である。最初にケンカをはじめた者たち以外にも、双方から助っ人が加わり、騒ぎは、どんどん拡大していく。

健二は、なぐられながらも、ひとり、またひとりと、確実にとなりクラスの男子をたたきのめしていった。

一馬も、貞行をダウンさせたあとは、健二に負けずおとらず大暴れをしている。

「健二っ!」

若菜も戦いに参戦しようとしたが、これは、美雪と弘樹に押しとどめられていた。

「はなしてっ、はなしてよ!」

「だめよ!あなたまでなぐられたら、どうするの!」

健二の時には、一言も口を開かなかった美雪が、けんめいに若菜を説得している。

そうこうしているうちに、満久が、岡村先生ととなりクラスの先生をつれて走ってきた。

「おいっ、おまえたち何やってる!」

日ごろ、やさしい岡村先生が、血相を変えている。

しかし、ここまで拡大した争いは、そうかんたんには、おさまらなかった。つかみあう者、なぐりあう者、それを止めに入る者、二つのクラスが入り乱れて、メチャメチャである。

健二と一馬は、結局、美雪にからんできた連中を、全員、地べたにはわせていた。二人とも傷だらけだったが、その顔は満足げだ。

「全員、やめろ!やめないか!」

岡村先生や、応援に入ったほかの先生たちによって、争いはようやく静まった。

取っ組みあいをしていた者たちは、肩で荒く息をしながら、まだ、にらみあっている。

「増田、いったい、何があったんだ?」

岡村先生は、学級委員長の増田弘樹に問いただした。なんとか、争いをやめさせようとしていた弘樹は、あわれである。

「すいません。ぼくでは、止められませんでした」

「そうじゃない、何があったと聞いているんだ。どうして、こんなことになった?」

弘樹は、うつむいてしまった。

原因は、美雪たちの班が、となりクラスの薪を横取りしたことにあった。そこへ貞行たちが、もんくを言ってきたのがはじまりだ。そして、直接の引き金を引いたのは、健二である。

けれども、弘樹は、そのことを言いたくはなかった。健二は、自分たちを守ってくれたのだと思った。

「先生、おれです。おれが、初めにケンカを売りました」

弘樹が驚いて顔を上げると、健二がふてぶてしい態度で手を上げていた。となりにいた一馬も、手を上げた。

「おれもです。おれも、ケンカを売りました」

これだけの騒ぎをおこしたにもかかわらず、二人は、何ごともなかったかのように平然としている。その潔さと度胸のよさに、弘樹は、思わず見とれてしまった。

「先生、ちがうんです。いちばん最初は、わたしのせいなんです」

美雪が、あわてて、健二と一馬の言葉を打ち消した。

「わたしたちの班が、となりクラスの薪を横取りしてしまったものだから。それで、ケンカになってしまったんです」

美雪の声には、必死な思いがあふれていた。

岡村先生は、じっと美雪を見つめると、うむとうなずいて、

「今、手を上げた二人と上条、それと、ほかにもケンカに加わった者は、いっしょに来なさい。増田、おまえも来なさい」

と言った。

呆然としているのは、若菜である。

「どうして?どうして、こうなるの?」

納得のいかない若菜は、自分も、手を上げて岡村先生に訴え出ようとする。けれども、それは、恒子によって押しとどめられた。

「若菜ちゃん、だめだよ。若菜ちゃんは、何も悪いことしてないもの」

若菜は、自分だけが取り残されたような気がした。やはり、健二たちといっしょになって、戦っていればよかったと思った。

貞行たち、ケンカに加わっていたとなりクラスの男子も、担任の先生につれられていく。

「こんなのってないよ!」

こぶしを握りしめて怒る若菜の声が、むなしくひびいた。

 

医務室で治療を受けたあと、健二と一馬は、岡村先生からこってりとしぼられた。

途中で、美雪が、「二人は、わたしたちの班を守ってくれたんです」と、横から口をはさんでも、先生は聞き入れなかった。

「たしかに、そうかもしれないが、だからと言って、暴力をふるっていいことにはならない」

岡村先生の言うことも、もっともだった。

暴力では、何も解決できない。暴力は暴力を呼び、結局、どちらも無傷ではすまなくなる。現に、健二も一馬も、傷だらけになっている。

でも、健二は思うのだった。

大人たちだって、同じことをやっているじゃないかと。

和田コーポレーションへの抵抗運動は、いつでも暴力に変わる要素をはらんでいる。六月にあった、おばけ工場の測量をめぐる騒動は、警察まで出動して、翌日には、大きくマスコミ報道されてしまった。

口で平和を唱えるのは、かんたんかもしれないが、実際の現場では、ただのかけ声に終わってしまうことの方が多いのだ。

ようやく、岡村先生から解放された健二と一馬が、自分たちのテントのある方へ引き返してくると、若菜をはじめ、クラスメイトのみんなが心配顔で待っていてくれた。

けれども、その中に美雪の姿だけは見えなかった。

「健二、だいじょうぶ?一馬も、だいじょうぶなの?」

いつもらしくない、若菜の不安げな声が、健二の胸にチクリと突き刺さった。

「心配ない。こんなの、かすり傷だよ」

健二が笑って答えると、若菜は、「うそ!あんただって、いっぱいなぐられてたじゃない」と、こわい顔で言った。

「やっぱり、わたしも、助っ人に入るべきだったんだわ」

「おまえが加わってたら、もっと、凄惨な現場になってただろうが」

「いいじゃない!悪いのは、あいつらなんだもの。薪のことくらいで、あんな言い方しなくたってよかったはずよ」

健二や一馬といっしょに戦えなかった若菜は、今からでも、となりクラスになぐりこみをかけかねない勢いだ。

そんな、若菜の荒れる心と同じく、天候も、とうとう、がまんの限界に達したようだった。低く垂れこめた鉛色の雲から、ポツリポツリと大粒の雨が落ちはじめたのである。

「おーいっ、みんなあ!大雨が、やってくるってさ!早く、あとかたづけをはじめるんだ」

健二と一馬が釈放されたあとも、岡村先生のところに残って何か話しこんでいた弘樹が、大声をあげながら走ってきた。その言葉どおり、雨は、どんどん激しくなっていく。

「まずいわ。これじゃあ、テントでは、持ちこたえられなくなるかもしれない」

若菜の予想は、的中した。

雨から守ろうと、急いで荷物をテントの中に入れたものの、地面から少しずつ水がしみこんでくる。

ぬれてもいいものを下、こまるものを上に積み重ねて、しばらくは、なんとかこらえたが、今度は、テントそのものがたるみはじめた。わずかにしなったテントの背中に、たまった水の重さがかかったのである。

「みんな、体育館に避難するんだ。テントは、そのままにして、荷物だけ持っていくように!」

岡村先生の声が、テントの外から聞こえてきた。と同時に、バリバリッという雷のごう音がとどろく。

六年生全員が、大騒ぎで体育館への避難を開始した。

雨がひどいので、ゴミ袋を切って広げ、それで荷物をおおったり、あらかじめ靴下を脱いで、足もとがぬれてもいいようにしたりしながら、レインコート姿で豪雨の中へ飛び出す。

さっきまでの大ゲンカなど、雨と風に吹き流されてしまって、となりクラスとも助けあいながら、数百メートル離れた体育館を目指した。

途中、何度も稲妻が近くを横切り、女子から悲鳴が上がった。山の天気は、本当に恐ろしい。

どうにか避難が終わり、体育館の床にぬれた荷物を投げ出した時には、だれもがへとへとになっていた。とくに、ケンカでけがをした者は、今になって、疲れがどっと出てきた。朝ごはんも食べられなかったから、なおさらである。

本来なら、今日の午後に五年生と入れ替わりになる予定だった。できることなら、早く部屋に移り、体を休ませたいところだったが、雨がやむまでは、五年生も身動きがとれない。

けれども、そんな中でも、日ごろから体を鍛えている健二と一馬は、まだまだ、元気だった。

健二は、何もない体育館でじっとしていることにうんざりした。それで、ひとり、班から抜け出し、体育館の入口に立って雨のぐあいを見上げた。

さっきより、少し明るくなっている。雨足は、まだまだ強かったが、しばらくすれば、やむかもしれないと健二は思った。

「ひどい雨ね。でも、こういう方が、思い出には残るかもしれないわね」

背後から話しかけられ、健二がふり返ると、そこには、美雪が立っていた。意外に思いながら、健二も答える。

「そうだな。何もないキャンプなんて、おもしろくねえな。野球の試合みたいに、いろいろあった方が達成感があるな」

美雪は、静かにうなずいて、健二のとなりにやってきた。二人して、雨の落ちてくる空を見上げ、しばらくは、どちらも声を出さなかった。

やがて、何を思ったか、美雪の指先が、腫れ上がった健二のくちびるにふれた。驚いた健二が手をふり払うと、美雪は、アハハハと明るく笑った。

「何すんだよ?」

「痛い?」

「どうってことねえよ」

「いじっぱりね。本当は、痛いくせに」

「うるせえなあ。おまえのせいで、こうなったんだろうが」

口を開けば、相変わらずの二人だった。

けれども、憎まれ口をたたきながらも、美雪の健二に対する態度は、あたたかだった。

健二は、なぜか落ち着かなかった。ひとりでいたいとも思ったが、同時に、美雪がそばにいることを不愉快にも思わなかった。

雨が、小降りになった。

雲間から差した太陽の光をまともに見て、健二は、思わず顔をしかめた。本物の太陽が、こんなにもまぶしかったかと、今、あらためて思った。