8.戦闘準備

大河内町での和田コーポレーションと連盟の騒動は、翌日の新聞やテレビなどで大々的に報道された。

事件の収拾をめぐって、和田コーポレーションは、記者会見を開き、世間を騒がせたと謝罪。しかし、出店計画の見直しはないとあらためて宣言した。

朝から新聞に目を通していた作蔵の顔色は、あまりさえなかった。

センチュリーWADAの強行的な出店は、これまでも、全国の各地で問題になるケースが多かったから、マスコミの論調は、比較的、反和田コーポレーションといった色彩が強かった。

にもかかわらず、大河内町においては、地元商店街にも問題があるという声が、多少なりとも上がっているのである。

それに、昨日の美雪のことがあった。

あんなふうに、親の身代わりとなって頭を下げにきた美雪を見たあとで、作蔵は、一方的にマスコミに腹を立てることは、できなくなっていた。

それは、健二にしても同じである。

いや、内藤家の人々みんなが、今までのような怒りを、和田コーポレーションに対して、ストレートにぶつけることができなくなっていた。

健二は、学校へ行くのがつらかった。こんなことは、今までになかった。

学校へ行けば、美雪と顔をあわせなければならない。その時、どんな言葉をかければいいのか、健二にはわからなかった。

もっとも、学校に行きづらいのは、健二よりも、むしろ美雪の方だろう。

美雪にとっては、クラスの全員が、立場の異なる敵のようなものである。もしも、昨日の騒ぎが話題に上ったら、美雪は、まわりからの集中砲火にさらされるに決まっている。

ところが、健二が教室に入ると、クラスの雰囲気は、いつもとまったく変わりがなかった。

美雪と若菜が、笑顔で会話をしている。そのまわりには、相変わらず女子の取り巻きができている。殺気立った様子など、少しもない。

弘樹は、額にばんそうこうをはりつけていたが、そのことを気にする者も、ひとりもいなかった。

「よお、健二。昨日は、大変だったな」

そう言って声をかけてきた一馬の顔にも、深刻なものは、何も見られない。

「あ?ああ・・・、なあ、なんかおかしくねえか?」

「おかしいって、何が?」

「だから、その、なんつーか、美雪のやつが・・・」

健二は、そこまで言いかけて語尾をにごした。そのとたん、遠くからさけぶようにして、若菜の声がかかった。

「健二、今日、あんたが日直なんだから、先生のところに行かなきゃだめだよ」

毎度の若菜のおしかりに、女子の間からクスクスと笑い声がおこる。

「うるせえなあ、わかってるよ」

健二も、ぶっきらぼうに答えたものの、心の中で首をかしげざるをえなかった。

ふだんと変わらない若菜・・・。でも、昨夜は、健二の前で初めての涙を見せていた。

健二の中には、二人の若菜がいて、どうしても、その二人がひとつにまとまらない。

そして、同じことは、美雪についても言えた。昨日の思いつめた美雪と、今、教室で笑っている美雪のどちらが本物の彼女なのか、疑問はふくれ上がるばかりである。

「女って、わかんねえ」

健二は、目をパチクリさせている一馬に向かって、チッと舌打ちしてから教室を出た。

職員室で岡村先生から日直のノートを受け取った時、思いがけず、先生から声をかけられた。

「どうした?めずらしく、浮かない顔をしてるじゃないか?」

「ええ?まあ・・・」

「昨日の事件のことか?」

健二は、おどろいた。岡村先生が、人前でセンチュリーWADAの話を持ち出したのは、これが初めてだった。

「・・・そうか、上条が内藤のところへあやまりにきたか」

昨日からの流れを、ひと通り健二から説明されると、岡村先生は、考えごとをするような顔で言った。

「それにしても、今、聞いた様子だと、上条のことは心配なさそうだな。青嶋がついていれば、問題ないだろう」

「若菜がついていれば?どういう意味ですか?」

「青嶋が親しげに話しかける相手に、だれも、もんくは言わないだろうということさ。たぶん、青嶋は、それをわかってやっているんじゃないかな」

「若菜が、美雪を守っているということですか?」

「そういうことだ。上条があやまりにきたのを見て、青嶋は、自分が上条を助けなければと思ったんだろうな」

「・・・・・」

正直なところ、自分と同学年の若菜が、そこまで深く考え行動していることに、健二は、驚かされてしまった。

けれども、思い返してみれば、若菜は、昔からそうだった。恒子の時だって、若菜は、同じことをした。

(あいつは、そういうやつなんだよな・・・)

健二は、若菜のそうした弱い者を守ろうとする姿勢が好きだった。

そんな、強い若菜の見せた昨夜の涙。それを思い出すたびに、健二の胸は、チクリと痛んだ。

(おれは、若菜を守りたいし、家族みんなを守りたい。一馬や弘樹、満久や恒子も守りたい。でも、美雪は、どうなんだろう?あいつにも、守りたい何かがあるんだろうか?)

健二には、美雪の本当の気持ちはわからなかった。ただ、これ以上、美雪と争う気には、とてもなれなかった。

もしかしたら、この時すでに、健二たち子供の世界では、すべての争いは終わっていたのかもしれない。

だが、大人の世界では、そうはならなかった。

連盟と和田コーポレーションの対決は、いよいよ、最終局面に入ろうとしていた。

和助の事件があってから九日後の九月二十四日、事態は次の段階に移った。今度は、和田コーポレーションが、正式に工事の着工日を連盟に伝えてきたのである。

その間、県からは二度目の和解勧告が双方にあったが、話しあいは、平行線に終わった。

ここにいたって、全面対決は、完全に避けられないものとなった。

警察からは、会長の小林繁治のところへ、さらなる抗議行動をおこさないでほしいとの内々の要請があった。もし、前回のような暴動に発展すれば、今度は、逮捕者が出ることになると。

それは、要請というより警告だった。連盟は、いよいよ最後の決断を迫られたのである。

 

「もはや、ここまでだ。和田コーポレーションは、確実に地盤を整えている。商工会も、今となっては、まるで役に立たん。県も、センチュリーWADAの誘致に前向きな姿勢を示しておる」

和田コーポレーションからの通達を受けて開かれた連盟の会合で、繁治は、悲痛な告白をした。

この日の会合は、ことがあまりにも重大なため、男たちだけでなく、一部の女や子供まで会場に顔を出していた。

健二はもちろん、若菜や一馬といった、いつものメンバーもいる。キャンプの時に大乱闘となった、渡辺貞行の顔も見えた。

しかし、だれもが沈痛な顔をして、発言をしようとはしない。

「それで、会長は、どうしたいのかね?」

沈黙を打ち破ったのは、いつものことで、この時も作蔵だった。繁治は、「うむ」と小さくうなずいて、再び語り出した。

「こうなったからには、われわれには、実力行使しか残されていないと思う。そもそも、センチュリーWADAの出店は、法的には、なんら問題のないことだ。そのまま放置しておけば、出店は、すんなりとできてしまう」

人々の間に、どよめきがおこった。

「実力行使と言うが、そんなことをしても、なんにもならないんじゃないのかね?いたずらに、逮捕者を出すだけのような気がするが」

そんな声が、上がった。

「結局、われわれが敗北したということでしょう?どんなに、抗議してみても、どうにもならなかったというわけだ」

そんな声も、ささやかれた。

会場は、しだいに騒然となり、あきらめの空気がじわりと広がっていった。ふてくされたように、大きなため息をつく者まで現れた。

すると、たまりかねたように、和助がこぶしでテーブルをたたいて立ち上がった。

「なんじゃ、どいつもこいつも情けない!戦う前から、泣き言を言ってどうする!」

和助の激しい怒りに、場内がふたたび静まり返った。

「たしかに、法律では、勝ち目のない戦いかもしれん。現行の大店法では、センチュリーWADAの進出を食い止めるのは不可能だ。だが、何もしないで負けを認めれば、わしらの商店街は、それこそ壊滅してしまうぞ!」

繁治は、和助の一括に援軍を得た思いで口を開いた。

「そのとおりだ。何もせずに終わるわけにはいかない。和田コーポレーションのやり方は、世論でも糾弾されている。その世論をさらに高めるだけでも、意味のあることなのではないか?われわれが動けば、マスコミが飛びつく。マスコミが飛びつけば、世論は左右される。どうせ負けるとわかっていても、これから先のことを考えれば、ここで、和田コーポレーションに一泡吹かせてやるのもよいのではないかと、わしは考えている。みんな、どうだろう?」

その時、会場の外から勢いよく入ってきた男がいる。大内英二。大河内町では、かなりの有名人と言ってよい。

大内は、大河内町漁業協同組合の組合長である。

今から三年前、大河内町では、防波堤建設をめぐって、県と漁協が激しく対立した事件があった。

海の荒くれ男たちによる抗議行動は、暴動となって世間の関心を集めたが、最後は機動隊に押さえこまれ失敗に終わった。

その荒くれ男たちを統率しているのが大内で、見た目も、まるで怒れるシャチのようである。

「漁協の組合長をしとります大内です。みんな、おれの顔は知っとると思う。今回の騒動を見るにつけ、おれは、三年前のことが思い出されてならん!そこで、ここに集まった皆さんが立ち上がる気なら、おれたちも、応援したいと思う。まあ、たいした加勢はできないかもしれんが」

思いもよらない、援軍の登場だった。

しかし、これは、繁治や源三郎、作蔵といった連盟の役員たちが、事前に仕組んだものだった。繁治たちは、どうせ抗議行動を行なうなら、マスコミが飛びつきやすい派手なものにしようと、初めから計画していたのである。そこで、大内に援軍を頼んだ。

「大内さん、本当に恩に着るよ。実は、味方になってくれる者は、ほかにもいる。元、入ってこい」

繁治に催促されて会場に現れたのは、成瀬元という三十がらみの大男だった。短く切った髪を派手に脱色し、いかにもヤンキーといった風情である。

実はこの成瀬元は、繁治の甥で、若いながら成瀬運送という運送会社を営んでいた。大河内町の工業団地を主な取引先として、大型トラックを二十台以上も所有しているが、そこが繁治の目をつけた点だった。

「成瀬元と言います。おじさんが会長をしている、連盟の役に立てるならと思って、今夜は参加しました」

元は、それだけ言うと、ちらりと繁治の顔を見やった。これでいいのかい?という感じである。

「元は、運送業を営んでいて、大型トラックを動かすことができる。道を封鎖するには、これしかないと思う」

道を封鎖する?

話を聞いていただれもが、驚きの目をみはった。そして、即座に思った。会長は、本気だ。役員全員も、本気で最後の抗議行動に出ようとしている。

「これから、わしらがやろうとしていることは、尋常なことではない。だから、参加するか否かは、各々で決めてもらいたいのです。わしらとて、こんな強硬な手段をとりたくはなかった。しかし、現状を見て、やむをえないと判断したまでです」

今となっては、繁治はいつもの温厚な繁治ではなかった。援軍まで頼んで、勝ち目のない戦いに挑もうとしている。

会場は、異様な緊張感に包まれた。その中で、再び作蔵が口を開いた。

「わしは、会長といっしょに行動する。ここまで来たからには、最後までやらなけりゃ、気がすまん」

すると、すぐに義男も続いた。

「おやじがやるなら、おれもやるぞ。ナイトウ洋菓子店は、徹底的に戦うぞ」

健二は、日ごろ、決断力に欠けると思っていた父親が、勢いよくその場に立ち上がったのを見てびっくりした。

そして、内藤家の男たちを皮切りに、次々と「おれもやるぞ」という声が上がりはじめた。

健二も、立ち上がった。一馬も、立ち上がった。それから、若菜が、弘樹が、満久が、恒子が、迷うことなく立ち上がった。

最後に和助が立ち上がり、これで、会場の全員が、繁治の呼びかけに賛同を示した形となった。

繁治は、副会長の源三郎と顔を見あわせてから、感激した様子で言った。

「皆さん、ありがとうございます!これで、われわれ、大河内町の人間はひとつになった。最後の最後まで、自分たちの町を守るために、戦おうではないか!」

おおおおおっ!という、怒涛のような歓声と拍手がわきおこった。それから、ようやく、人々の顔に笑みがこぼれた。

その場は、直ちに重大な作戦会議となった。

繁治は、用意してあった大河内町の拡大地図を黒板にはりつけた。説明は、源三郎が行なった。

「まず、何からどうやってはじめるかだが、おばけ工場に入ろうとする工事業者の阻止が、最初に必要になってくると思う。よって、われわれの主力は、まず、淀浜公園に集合し、そこから活動を開始したい。ただし、敵さんも、それは、承知しているはずだから、機動隊が正門をかためていると考えなきゃならん。そこで、どうするか?」

源三郎の問いかけに、作蔵が続けた。

「正門がだめなら、裏門がある。また、西門もある。正門がデモ隊との衝突で騒然となっていれば、業者も裏門や西門から入ることになるだろう。おそらく、やつらは、それを初めから見越しているにちがいない。正門の守りを固めて、わしらの注目をそちらに向けさせておきながら、その間に、ほかの門から業者を入れるのではないかということだ」

みんな、なるほどという顔でうなずきながら、作蔵たちの話に耳をかたむけている。再び、源三郎が口を開いた。

「だから、われわれも、その一歩先を考えるんだ。主力は、正門で抗議行動に移り、その間に、裏門と西門に突入隊を配置する。業者が来るのを見計らって、われわれも、おばけ工場の中になだれこみ、逆に門を閉めてしまえばいい。これは、迅速な行動が必要になるから、若い連中に頼まなければならん」

聞いていると、かなり本格的な作戦を、繁治たちは考えているらしい。

話は、さらに、元のトラック隊による道路の封鎖箇所と、英二の率いる漁協の船団の役割へと進み、そのあと、必要なものは何か?人員の配分はどのように行うか?など、具体的な内容の検討に入った。

ここから先は、主だったメンバーに任せることとし、一般の住民は解散した。健二たちも、役員のひとりである作蔵だけを残して家路に着いた。

会場を出てから、若菜とならんで路地を歩きはじめた時、うしろから渡辺貞行が追いかけてきた。

「ちょっと、待ってくれよ」

思いがけない相手から呼び止められて、健二は、いぶかしげにふり返った。

「あん?」

あれほどの大ゲンカをやった間柄だから、まだ、もんくがあるのかと思った。

ところが、貞行には、以前のようなとげとげしさはなかった。

「話しておきたいことがあってさ」

貞行は、少し緊張したように言った。

「上条のことで・・・」

「なんだよ?まだ、美雪にもんくがあるのかよ?」

「そうじゃねえよ。ただ、キャンプでのこと、あやまっておきたいんだ。あいつ、大熊のおっちゃんのところへも、わびに来たって聞いたから」

「あやまる?」

「なんか、このままじゃいやなんだよ。でも、なかなか、本人と話す機会がなくてさ。悪いけど、おまえから伝えてくれないか?」

健二は、まじまじと貞行の顔を見た。あまりにも意外な相手の言葉に、初めは、からかわれているのかと疑ったほどだった。

けれども、貞行は、ニコリともしないで健二の返事を待っている。本気なのだと、健二は思った。

「おまえ、当日は、どうするつもりなんだ?」

「今は、わからない。どうせ、オレにできることなんて何もないしね。まわりの大人たちに、ついていくしかないと思ってる」

「そっか。そうだよな・・・」

健二は、貞行の正直な言葉を聞いて、こいつも、大河内町のために、いっしょになって戦う仲間なのだとあらためて知った。そのとたん、ふっと肩の力が抜けた。

「しょうがねえなあ。わかったよ・・・」

健二は、言った。

「けど、美雪のやつが、おれの話をまともに聞いてくれるかどうかは、わからないぜ」

「それでもいいさ。どうせ、オレから言っても、聞いてもらえないだろうからな」

「けっ、おまえ、わかってんじゃねえか」

二人は、肩をすくめて苦笑いをした。

貞行の言葉を伝えた時、美雪は、なんて言うだろう?素直に喜ぶか、それとも、鼻でせせら笑うだろうか?

いずれにしても、これで、すっきりした気持ちのまま戦いにのぞめると、健二は思った。

ただし、自分たちの敵は、美雪ではなかった。だれかを悪者にして倒せばいいというなら話はかんたんだが、現実はちがう。

これから、健二たちが戦いを挑もうとしている相手は、和田コーポレーションというよりも、それを含め、自分たちの暮らしに暗い影を落としている、目に見えない何かだった。

「じゃあな。頼んだぞ」

貞行は、安心したように、駅前通りの方角へ馬の子のような勢いでかけていった。一度だけふり返り、白い歯を見せながら、「おまえ、いきり立ちすぎて、ケガすんなよ」と健二に言い残した。

「大きなお世話だ!」

健二も、鼻息を荒げて言い返してやった。

空を見上げると、まるい月が輝いている。もちつきをするウサギがはっきりと見える、明るい月だった。

「まさか、あいつからあやまってくるとは思わなかったな」

健二が再び歩き出すと、となりにいた若菜は、うつむきかげんで「そうだね」と答えた。ほんの少しだけ笑みを見せたが、あまり、うれしそうな様子でもなかった。

「おまえ、最近、元気がないな」

「・・・そんなことないよ。わたしは元気だよ」

「そうか?それなら、いいけど・・・」

なぜか、おたがいに言葉が続かない。

教室で大勢の前にいる時の若菜と、健二と二人だけでいる時の若菜は、やはり、別人のように思える。

「あの・・・」

何かを言いかけて顔を上げたが、すぐに言葉を飲みこんでしまった。そして、またうつむいた。くちびるを、真一文字にきゅっと閉じている。

「なんだよ。いつもみたいに、はっきり言えよ」

健二は、言った。

「おまえが落ちこんでいると、おれの調子が出なくなるだろ?」

若菜は、再び顔を上げた。健二がニーッとにやけて見せると、あっけにとられたように、クスクスとふき出した。

「うん・・・」

青い月明かりに照らされた若菜の笑顔は、ただそれだけで、健二の心を和ませた。

これから、いよいよ、決戦の時を迎える。先の見えない未来への不安は、今夜の会合に参加した、すべての人に共通した思いだった。

健二も、不安を感じていた。ただ、ひとつだけはっきりと言えるのは、今の若菜の笑顔を、自分は、いつまでも見ていたいということだった。

この町を守れば、若菜は、笑ってくれるはずだ。そう考えると、健二の胸には、いやが上にも熱い闘志がわき上がった。

 

若菜と別れ、家に戻った健二たちは、作蔵の帰りを待った。

今後、自分たちがしなければならないことが何なのか、作蔵の指示に従えば、すべてがわかるはずだった。

ところが、夜遅く帰宅した作蔵は、まだ、横になろうとはしない内藤家の人々を前にして、意外なことを言った。

「当日、義男以外は、みんな家から出るな。これは、わしからの命令だ」

健二は、作蔵が何を言ってるのか理解できなかった。

今夜の会合で、あれほど組合員全員の気持ちがひとつになったというのに、抗議行動に参加してはいけないとは、どういうことなのか?

「じいちゃん、何言ってんだよ?そんなこと、できるわけないだろう?」

「なんで、できないんだ?当日は、店を開くわけにもいかない。家の中にこもって、おとなしくしているだけのことだ」

「そうじゃねえよ。みんなが戦おうとしている時に、どうして、おれたちだけが何もしないでいられるかって言ってんだよ」

こんなバカな話があるものかと、健二は思った。

鈴子と佐和子は、何も言わなかったが、健二と同じ気持ちであることは明らかだった。作蔵たちだけを矢面に立たせるなんて、できるはずがなかった。

「今回ばかりは、ダメだ。だれかも言っておったが、いたずらに逮捕者を増やすだけの話だ。わしらだけでも、十分にやっていける。だから、みんなは、ここに残るんだ」

「だけどさあ・・・」

「いいや、ダメだと言ったら絶対にダメだ。いいな、健二。おまえがいたところで、何もできはせん。足手まといになるだけだ」

足手まといと言われて、さすがに健二は、むっとした。今まで、散々、自分の都合で周囲をふりまわしてきたくせに、今になっていらないと言われても、納得できるはずがない。

けれども、健二は、それ以上の口答えをしなかった。作蔵は、一度言い出したら、絶対に考えをひるがえさない男だからだ。

センチュリーWADAの工事開始予定は、四日後であった。それまでに、抗議行動に必要なあらゆるものを用意しておかなければならない。垂れ幕やプラカードも必要だろう。食料も必要になるはずだ。

抗議行動がどんなものになるか、どのくらいの時間がかかるものか、結局は、やってみなければわからない。

健二は、憤りを感じる一方で、まだ、時間があるとひそかに思った。その間に、一馬たちと計画を練ることができる。だから、これ以上の口答えはひかえた。

作蔵からどんなにダメだと言われても、それを素直に受け入れるはずのない健二であった。

 

×    ×    ×

 

翌日、学校は、例によっていつもどおりの学校だった。

美雪も変わらない。若菜も変わらない。大人たちの争いがうそのように、今日も、教室の中は平和そのものだ。

ところが、放課後になると、様子は一変した。

健二は、ひそかに一馬と弘樹、満久を体育館の裏に集めた。

どうやら、事情はどの家でも同じらしく、みんな、抗議行動の決行日は、家から出るなと厳命されているらしい。

学校は、危険を回避するために、同じ日の休校が各クラスの担任から伝えられた。

「さすがにうちのおやじも、いっしょについてくるなだってさ。自分だけで行く気になってる」

一馬が言えば、弘樹や満久もうなずいた。

「みんな、家族を危険に巻きこみたくないんだ。ぼくが父親だったら、同じことを言うと思う」

たしかに、弘樹の言うとおりかもしれなかった。

しかし、それならなおのこと、じっとしているわけにはいかない。もしも、作蔵たちに逮捕の危険が迫ったら、だれかが助けにいかなければならないのだ。

「おれは、とにかく、おばけ工場に入るつもりでいる。どさくさにまぎれれば、行けると思う」

「もちろん、おれも行くぜ。健二だけに、いいカッコさせられねえからな」

一馬が、フンと鼻を鳴らして言った。

「ぼくも行くよ」

「うん、ぼくもだよ」

弘樹と満久も、あわてて言った。

「それに、わたしたちもね」

ふり返ると、この場に呼んでいなかった若菜と恒子が立っていた。

「わたしたちだけ、のけもの?ちょっと、ひどくない?」

若菜は、口で怒りながら目が笑っている。あちゃ~という表情の健二たちに、若菜は続けて言った。

「わたしたち、きっと役に立つから。ね!いっしょにつれてってよ」

もう、しかたがなかった。

結局、若菜と恒子を加えたいつもの仲間六人は、力をあわせておばけ工場に潜入、自分たちの家族を守るために、戦うことを決意した。

そして、そんなふうに行動を開始したのは、健二たちだけではなかった。

鈴子や佐和子たち、それぞれの家の女たちも、大河内町役場の中で座りこみ運動に入ることを、男たちとは別に計画していた。

男たちのように過激な行動をとらなくても、訴えられることはある。町役場が、各家庭の主婦や娘たちに占拠されれば、報道は、ますます大々的なものになるはずだ。

こうして、それぞれがそれぞれの立場で、最後の抗議行動にのぞもうとしていた。

みんな、元気である。そして、意気盛んだった。

 

×    ×    ×

 

当日の朝を迎えた内藤家の食卓は、いつも以上ににぎやかだった。

これから挑む戦いを前に、健二は、全身にみなぎる力を感じた。作蔵と義男も、心なしか口数が多かった。

二人を家から送り出そうとした時、さすがに、鈴子と佐和子の顔は、こわばっていた。健二も、言いようのない緊張感に包まれた。

外は、これからの波乱を予感させるかのような、くもり空である。しかも、強い風にあおられて、空全体が荒れている。

そこへ、ひとりの男が現れた。和助だった。

「和助・・・」

少し驚いた様子の作蔵に、和助は、ポーンと野球のボールを放った。

「作蔵。もう一度、二人で暴れるか!」

ニッと笑った和助の顔には、不敵なものがあった。それを受けて、作蔵の目にも燃え上がるような光が走った。

「おうよ。決勝戦、九回裏だな。行こう!」

二人のスーパーじじいの怒鳴っているような笑い声に、電線に止まっていたスズメたちが、いっせいに舞い上がった。

「気をつけて」

見送る佐和子の声が、心なしかふるえていた。健二の握られたこぶしにも、不必要に力が入った。

どこかで、かすかな雷鳴がとどろいた。後に「平成の港町戦争」と呼ばれることになる騒乱のはじまりだった。